肝は作り手と共有したいものだ。ゲームMETAL GEAR SOLID

メタルギアソリッド23のHDエディション という

なんだかカッコつけすぎな名前の商品を買いました。

このソフトは、
今までのメタルギアシリーズをほぼ全部楽しめるという
嬉しいソフト。


それでもって、
(順番にやってみようと思ったのだがメタルギア1の場所がわからずソリッド1をはじめてしまったが)
グラフィックの良しあしあるのだけれど、
今はメタルギア1とメタルギアソリッド(solidシリーズの1ということ)が
とても楽しい。

ちまたではムービーゲーといって揶揄されることも多いが、
この当時は作者が何をしたかったかが、よく解る。

隠れるということを主眼に置いて、
色々なイベントが散りばめられているため、
テレビゲームではあるが、
話がいくら進もうが、
主人公の目的がとてもはっきりしているのだ。

マリオが穴に落ちたらダメ、なように、
敵に見つかったらダメ。

これが面白いことを発見したメタルギアは(けがの功名らしいけれど)素晴らしいと思う。

メタルギア1とメタルギアソリッドは、
手に取るように、ゲームをやりながら感じられるということが、
良い感じなのです。

このあたりを言語化できれば、
「ゲームの肝」と呼べるのだろう。


このゲームの肝ってやつを分析できると、
ゲーミフィケーションみたいな、他分野への利用もできるだろうし、
言語化されていない人生の価値みたいなものを
探し出せる気がする。


そう思って今日もメタルギア
やっているけれど、(なんで面白いのだろうかという核心への一人問答)
わかりそうで、わからない。

「肝を共有したい」という気持ちで
今のところゲームを楽しめている。

メタルギア

メタルギア