かわいい映画 スーパー8

ETもニューシネマパラダイスも見たことがない、
映画黄金期的風をあんまり知らない僕でも、
「映画」っていいもんですね、なムードに幸せな気分になる。

はたしてスーパー8とは何なのか。

ということをモヤモヤさせながらも、
教科書みたいな映画的表現を、
劇中に映画を撮影する子どもたちを使いながら、
分かり易く随所で見せる。

それは既視感というか、王道というか、
80年代なのか、もっとそれ以前に生まれていて今も
のっとっている映画文法をトレースする様でもあって
それでいてわざとらしくないのだから、
きっと水野晴郎は生きていたら随分喜んだと思う。

直接言わないけど分かり易い比喩暗喩表現が散見しているのは、
映画を最後まで見ると、キュートな感じに見えてくる。

想いを伝える為に、
誰かによって映画は作られていることを、
この映画は教えてくれるようなのだ。

無論商売であることは否めない。
映画的ステロタイプな展開(死にそうな人は死んで主人公は死なないとか)は
人を人とも思わない感じでもあり、馬鹿みたいだ。

それを最後まで信じてほしいというのは、
都合が良い気もするが、
信じてもいいかな、思うしかないというか、
映画をひとつの人格とすると、
このかわいらしい奴を
信じてもいいかなと、
ちょっと思ってしまった。


あまたの映画の応援な感じすらしてきたわ。

さや侍も肯定できるな。