笑った映画 ふゆの獣 探し過ぎた映画さや侍

どんな映画なら満足するのか良くわかりませんが。
良い映画を求めてさまよい、博打のように入ってみるのも面白いものです。

映画は見ないと分からないだけでなく、
2度3度と普通見るものでもなく、自分で手を加えることもできなければ、
みたい所だけみるとか、あんまりそういうものでなく。

だから最初の出会いってなんだか少し緊張するわけで、
この緊張の程度が映画の種類と言ってもいいかなと。
ハリウッド映画はこの緊張が低く、邦画は全般的にまだドキドキがあって。

そんな中、「ふゆの獣」という時期外れも甚だしいタイトルの映画。
「皮肉」という映画評をちらと見ただけで行ってしまいました。

で、
いやあ面白かった。
見る側の視線が浮き彫りにされる恐ろしい映画でした。
単純に、音の出ない笑いがシクシク出てしまって。


その前に「さや侍」という映画を観ました。
なんというか、
難しかった。

例えば劇中で出てくる「笑わせる」という割と直接的なミッションについて
どう考えればいいのかということ。
劇中で面白いとされていればそれはそうなのだろう、という映画文法にのっとるし、とはいえ素直に笑ったら楽しかったらそれで良いじゃん的な受け止めもある。

んが、それが良く分からない。

こちらも何となく笑ってみたいなあという気持ちもあるせいかもしれないけれど、
そのジャッジばかりしていた感じがあった。
つまり、僕は映画の画面に映っていることを必死に追いかけていたわけでした。
何か読み取ろうと、いう感じ。

笑ってしまう状況を見出すこともできず、
筋風なやつに感銘を受けなかった自分としては、
(あの娘とかも全然良いと思わなかった)
その構造をひも解く努力が必要で。

んー。でも筋とかどうでもいいのだけれどな。


ふゆの獣なんか、筋とかめちゃくちゃですが、
期待してもらっても全然良い、
「中盤のワンルームのところ」。
もう馬鹿馬鹿しくも最低で、集中できるシーンでした。
妄想が膨らみ、笑っている自分に冷や汗かく感じ。


いやでもこれテーマってことなのだろうか。。。